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仙台駅近くのホテルから苦竹駅近くの出張先まで行った帰り、あおば通りまで乗ってきた。

苦竹駅にて列車を待っているところ。

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あおば通り駅の開業は結構「最近」だと思っていたが、調べてみると2000年3月とのこと。自分も歳を取ったことを感じる。前回仙石線に乗ったのは1998年頃かな。

 

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大阪滞在中。

泊まっているホテルの部屋から見える光景。

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なんか結構いい感じの写真が撮れる気がする。一眼レフは持ってきてないけど。右隣の部屋からのほうがもう少し余裕のある写真が撮れるかな。

おおさか東線乗り潰し完了。それと225系と321系初乗車。

 

3月21日、6時過ぎに起床する。今日は伯備線で新見、姫新線で津山、因美線で鳥取に向かい、折り返して郡家から若狭鉄道を往復し、智頭から智頭急行で上郡に抜け、その後は山陽本線~東海道本線で大垣に向かい、ムーンライトながらに乗って東京へ、と言う計画だ。木次線はあきらめることになったが、鳥取県内の鉄道は全て乗り潰せることになる。

米子駅07:36の伯備線に乗り込む。115系2輌編成だ。伯耆大山の手前で日野川を渡り、ここから列車は南に向きを変え、中国山脈の分水嶺に至るまで日野川とその支流に沿って進むことになる。小雨が降っているせいもあるが、日野川の流れは意外に大きい。江尾・武庫付近では綺麗な河岸段丘が見られ、段丘の地形に沿って集落や耕作地が広がる。伯備線は地形にそって走っている区間が長く、トンネルは存外少ない。随所に半径300m程度の曲線が見られ、線形は悪い。特急列車の最高速度は120km/hとはいえ、これでは最高速度で走れる区間はほとんどないだろう。しかも交換駅の一線スルー化も進んでいない。国鉄時代に電化されてから目立った改良は行われていないのだろうか。山陰本線の高速化改良を行ってくれた鳥取・島根の両県に、伯備線の高速化もお願いしたい。列車は幾度かの「やくも」や「サンライズ出雲」との交換・退避を経て、県境の谷田峠(たんだたわ)をトンネルで抜ける。芸備線と備中神代で合流すると、09:48新見到着。

すぐに09:51発の姫新線津山行きに乗り継ぐ。キハ120単行。乗客は少なく、10人ほどか。途中中国勝山までは随所に25km/h制限(雨天時は15km/h制限?)が見られる。中国勝山からは大量の乗車があり、立ち客もかなり出る。隣に座った男性はこの週末妻の実家に帰っていたが、妻と子供を残してこれから東京に戻ると言う。放射能汚染を恐れて家族を避難させるのだろうか?中国勝山からは25km/hの速度制限はなく、快調に走る。伯備線よりもむしろ線形はよいかもしれない。この列車の中国勝山~津山の表定速度は47km/hで、山岳地帯を走る地方交通線の普通列車としては速い部類であろう。津山には11:31に到着する。ホームの向かい側には津山線の11:34発快速岡山行きが停車しており、多くの乗客がそちらに乗り換えて行った。私は同じく11:35発の因美線智頭行きに乗り込む。またもキハ120単行で、乗客は10人ほど。かつては岡山から鳥取へ向かう最短ルートだったのだろうが、非常にさびしい状況だ。例によって25km/h制限もある。県境の美作河井~那岐にある物見トンネルは、3077mあり、長い。このトンネル以外特に見るところの無い線区で、沿線の集落も少なく、長距離列車がなくなれば、寂れるのも当然だろう。智頭には12:43到着。

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智頭からは同じ因美線でも表情の異なる区間だ。智頭急行経由の特急列車だけでも1日13往復が運行されており、普通列車も13往復ある。郡家以北はさらに若狭鉄道からの直通列車が7往復ある。駅前のスーパーであわただしく昼食を調達した後、12:56発の鳥取行きに乗り込む。車輌はHOT3500の2輌編成だ。HOT3500系の内装はJR東日本のキハ100系と共通性が見られる。シート・窓枠・天井のパネルなどは共通の部品であろう。エンジンや台車は異なるので、同型車とは言えないだろうが、部品単位では他社車輌と共通化されているのだろう。列車は当初空いていたが、鳥取に近づくにつれ乗客を増やし、郡家でまとまった乗客を広い、立ち客を出した状態で鳥取に到着した。

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鳥取で食糧を補充した後、14:10の因美線智頭行きで折り返す。キハ47の2輌編成だ。この列車で郡家に向かい、ORITADE。駅前は閑散としている。窓口にて若桜鉄道の乗車券を買おうとするが、車内で買えとのこと。ホームで待っていると、すぐに後続の鳥取発若狭行きが入ってきた。車掌も乗務していたので、若桜までの乗車券を買おうとすると、「往復でご利用されますか?」と聞かれる。往復で利用するなら1日乗車券の方が安いというのでそちらを買うことにする。それにしても・・・乗客は自分も含めて3人。1人は明らかに同業者で、地元客は1人だけだ。これは悲しい。沿線は歴史ある地域らしく、階段状に作られた田の段差部分や、水路の部分は丸石で築かれた古い石垣で補強されている。水路も、ポンプを用いず、川から自然流下だけで田んぼに水を引けるように設計されている部分が見られた。途中駅の駅舎はいずれも開業時のものと思われる木造のもので、比較的大事に使われているように見受けられた。終点の若桜には15:09着。15:16にすぐに折り返す。ここまでは単行だったが、1両増結して2輌編成で折り返す。

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若桜駅の東側には転車台や給水塔などがあり、C12が動体保存されており、体験運転会も開かれているようだ。郡家には15:46に到着し、すぐにホーム向かいに到着した15:50発の智頭行きに乗り換え、智頭には16:19着。ここで、若桜鉄道乗車時から気になっていた、財布の中身を補充すべく、ATMを探すが、自分のキャッシュカードで使えるATMが無い。こんいうときだけはJAで口座を持っていると便利かもしれないと思う。まあ智頭急行の運賃分の現金はあるので、先に進む。智頭急行はJR西日本の駅舎の隣に独立した駅舎を持っており、駅員も配置されている。自動券売機が無いので、窓口にて上郡までのきっぷ(1260円)を買おうとすると、普通列車に乗ることを確認のうえ、一日乗車券を勧められた。普通列車のみに使えて1000円だというので、迷わずこちらを選んだ。16:32の上郡行きに乗車。この列車も乗客はまばらだ。智頭線も陰陽連絡以外の需要は非常に少ない。智頭を出るとすぐにトンネルに入る。智頭付近の山々は杉に覆われており、きちんと枝が落とされ、管理されているのが見える。智頭線は国鉄末期に工事を開始した路線だけあって、トンネル・高架の区間が多く、線形も良い。途中、特急列車との行き違いや退避で長時間停車しながら、上郡には17:53に到着。特急列車の倍の時間が掛かるが、それでも表定速度は41km/hと悪くない。

 

上郡からは東を目指して乗り継ぐのみ。18:08発の姫路行きに乗る。115系だが、中間2両が3500番台で驚いた。3500番台も姫路まで入ってるんだ。だが網干から、先行列車遅れと言う理由で遅れ始める。結局姫路には5分遅れで到着。予定の新快速との乗り継ぎには余裕があるので全然心配していなかったのだが。なんと山崎付近での人身事故により、姫路から上り方面の列車に遅れが出ていると言う。とりあえず18:57発の新快速の車内で待つが、車掌の放送を要約すると内側線を走る列車は走っているが、外側線を走る列車はまだ運行を再開して無いとのこと。従ってこの列車も何時運行を再開するかわからないとのことであった。車掌はT快速利用を勧めていたが、内側線が動いている以上、外側線の復旧に長い時間が掛かることはあるまい、とタカをくくって車内で待つ。案の定、15分ほどの遅延で動き出した。自分の判断に酔いつつ加古川到着。しかしここでなんと再度抑止。車掌は繰り返し何時発車できるかわからないとの放送を繰り返す。自分は最後尾の車輌に乗っていたが、車掌に絡む人も出始めた。目的地が米原なので、快速に乗ったのでは時間が掛かりすぎる。快速では既にムーンライトながらには間に合わないのは確実だ。その一方で、何とかしてムーンライトながらに乗る必要がある以上、快速で可能な限り東を目指し、どこかで新幹線で乗り換えるのが得策と言う気もしていた。車掌の言葉通り、T快速は運行を再会しており、ここで2本の快速に抜かれる。さすがに自分も快速に乗ろうかと、判断が揺らぎ始めた頃、ようやく運行再開との放送が入る。結局加古川発車は65分延。その後は順調に走り、途中で内側線を走る快速もどんどん抜いていく。大阪で車掌が変わり、新大阪を出たところで、ムーンライトながらに乗り継ぐ客は知らせてほしいと言う放送が入ったため、車掌室に向かう。高槻までの間に自分を含め5人の客の申告があったが、果たして待ってくれるのだろうか。現在の遅れであれば、とりあえず米原まで行って、その時点でムーンライトが待ってくれないということなら新幹線で追いかけることも出来る。が、高槻を出たところで再度抑止。なんと桂川~西大路の踏み切りで非常ボタンが押されたと言う。全くついていない。幸い、すぐに運転は再開したが、のろのろと走っており、遅れは増すばかり。米原で新幹線に乗り継ぐのは不可能という結論に達し、京都から新幹線に乗り継ぐことにする。4980円の出費は勿体無いが、18きっぷを使っている以上、このようなリスクは承知だ。18きっぷでの旅行は時間か金が余っている人間の道楽なのだから。車掌も先ほどの5人に対し、ムーンライトが接続待ちをするよう手配はしたが、遅れが拡大したため、ムーンライトながらへの接続が保証できないことを説明し、京都で新幹線に乗り継ぐ様勧めていた。が、このうち1人が車掌に執拗に絡んでいた。要は、18きっぷで新幹線に乗せろ、と言っていたのだが、見苦しい限りだ。列車は京都に到着、この時点で90分延。この客は新快速に継続乗車するようだった。私は急いで新幹線乗換え口に向かう。かつて通学で使っていた懐かしい駅だが、感傷に浸っている余裕はなかった。乗換え口のきっぷ売り場できっぷを買い求めようとするが、窓口がひとつしか開いて無い上、18きっぷで新幹線に乗せろとゴネている人が窓口を塞いでいて前に進まない。頼むからひとつしかない窓口を塞がないでくれ。幸い隣の窓口を空けてくれたので、列は進みだした。ホームに上がると、すぐに22:15発の「のぞみ」96号名古屋行きが入ってきた。

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新幹線は面白みがなくあまり好きではないが、やはり快適だ。たった35分で名古屋に到着。先ほどの新快速は順調に走っていたとしても米原につく頃だろう。ムーンライトながら到着までも15分以上余裕があるため、食糧を調達する。現金が無いが、TOICAで支払える売店があるので問題ない。名古屋ならATMもいくらでもあるだろうけど。程なくムーンライトは入線したが、車内放送によると、大阪方面からの接続列車遅れのため、00:12発になるとのこと。時刻表を見てみたが、00:12前に到着する大垣方面からの列車はなく、特定の列車の接続待ちのためにこの時間まで待つというわけではなさそうだ。あらかじめこの時間にスジが用意してあるのだろう。結果論だが、先ほどの新快速に乗り続けていたとすれば、大垣までしかたどり着けなかった可能性が高い。我ながら京都で新幹線に乗り継いだのは良い選択であった。

車掌が放送していた通り、ムーンライトながらは名古屋を00:12に発車。すぐに寝てしまったらしく、次に記憶があるのは大船を通過したときだ。横浜には定刻に到着。やはり接続列車が遅れたときのために、あらかじめスジが用意してあるのだろう。東京駅から、上野、松戸と乗り継ぎ北小金へ。家に着いたのは06:30頃。これからシャワーを浴びて、いつも通り出勤だ。不思議と良く眠れたので、特に疲れてはいなかった。

 

最後に、今回の旅行が終わった時点での、西日本のJR線乗り潰し状況は以下の通り(マップの作成は http://www.noritsubushi.org/ を利用)。

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JR線に完乗するだけでもまだまだ時間が掛かりそう。

 

午前4時、無事起床。顔を洗ってから、ベッドに戻って本日の旅程を時刻表で確認していたら・・・寝てしまった。

再び起きたのは7時過ぎ。完全に寝坊だ。本当は山陰本線の上り始発列車で鳥取に向かい、因美線、姫新線、芸備線で備後落合に行き、木次線に乗る予定であったが、この目論見は崩れ去った。過去にも寝坊が原因で予定が狂ったことは幾度もあり、特に石勝線の楓にいけなくなってしまったのは後悔している。まあ仕方がないので、因美線と姫新線はあきらめ、伯備線で備中神代に向かうことにした。米子11:03発の伯備線列車まで時間があるため、境線をまず乗り潰すことにしてホテルを出た。

とりあえず08:10の山陰本線の鳥取行きに乗車し、次の東山公園で下車、ここから境線の博労町まで歩き、ORITADEを稼ぐ。

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博労町から境線に乗車。米子発08:30の列車だ。境線は途中の後藤までは電化されている。後藤工場へ電車が自走で入場するためだ。列車は日本海と中海の間の平地をひたすら進む。特に車窓に見所があるわけでもなく、線路もほぼまっすぐだ。唯一の例外は米子空港付近で、滑走路を避けるために線路が東側に迂回している。終点の一駅手前、馬場崎町で下車、ここから境港まで歩く。で、境港駅に歩いたわけだが、境港駅に着く前に、なんと駅の近くの踏切がなり始めた。そしてヘッドライトを輝かせ・・・列車は行ってしまった。なんということだ。馬場崎町から境港までの営業キロは0.7km、馬場崎町着が09:13で境港発は09:20だから、単純に考えて6km/hで歩かないと間に合わない計算だ。何で俺はのんびり歩いていたのだろうか。その前に何でこんな予定を組んだんだろう。木次線の列車に間に合わすことが出来ないか時刻表とにらめっこする。境線の次の列車に乗り、伯備線の特急に乗れば簡単に追いつけることはわかり一安心。原則として乗りつぶしは普通列車に乗ることにしているので、その原則からは外れるが、まあ良い、木次線に乗れれば。

しばらく駅周辺を見て周る。境港の駅に隣接して観光案内所とフェリー乗り場があり、旅行者には便利な構造になっている。韓国の東海行きフェリーの案内もあった。丁度この日の夕方に出航する便があり、一瞬韓国に行こうかという思いもよぎったが、さすがに時間がないし、言葉がわからない。韓国旅行の最大の問題は言葉の壁とそれによる情報の得にくさだ。東海から釜山なりソウルなりを経由して火曜日の朝までに帰ってくる方法が簡単にわかれば、このときフェリーに乗っていたかもしれない。ちなみに旅券は持ち歩いている。

うろうろした後で境港駅に入る。ここでとりあえず明日の上りムーンライトながらの指定席を確保する。まだ予定は決めていなかったが、連休最終日なので一応手に入れておくことにした。510円だが、現金払いかクレジットカード払いかを聞かれる。払い戻しする可能性も考えて現金で支払った。

で、待合室で腰を落ち着けると・・・

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なんと木次線運休のお知らせが・・・ちゃんと調べてくればよかった。何のためにここまで来たんだか。仕方がないのでまた時刻表を開き、計画を練る。このあたりのJR線で未乗なのは、因美線、姫新線の津山以西、伯備線の備中神代以北、木次線、山陰本線の米子~江津である。今から伯備線、姫新線、因美線と周って山陰本線で米子に戻ることは可能であったが、因美線は夜になってしまう上、若狭鉄道には乗れなくなってしまう。逆周りだと姫新線、伯備線が夜になってしまう。しばらく考えた末、これらの路線は明日乗ることにし、山陰本線で江津に向かうことにした。ついでに一畑電車にも乗ることにした。

気を取り直し、10:20発の列車に乗り込む。境港駅は発着線は2本あり、本線に直進でつながっているのは1番線だが、鬼太郎列車のラッピングを見せるために、駅前広場側の2番線に列車を入線させているようだ。米子には11:06着だ。書き忘れたが境線の列車は往復ともキハ47の2連であった。境線は駅が多いこともあり、非常に遅く、表定速度は30km/hを下回る。

米子からは山陰本線でまず松江に向かう。11:28発の出雲市行きは115系2連だった。40年前の設計とはいえ、電車は速く、松江までの28.9kmを33分で走る。速いのは駅間距離が長いせいもある。この間に駅は4駅だけで、特に米子~安来の駅間距離は8.8kmある。JR松江駅からは一畑電鉄の駅まで歩こうと思っていたが、雨が降っている上、丁度バスが来たため、バスを利用することにした。12:05発の北循環線の外回りと言うバスだった。松江市交通局のサイトを見てみると35分間隔で運行しいるようだ。他の系統も松江駅と松江しんじ湖温泉駅を結んでいるようだが、いまいち解りにくいサイトで、きちんと調べる気にはならなかった。15分ほどで到着。かなり遠回りをしていたようだが、まあ急いでいないのでよいであろう。駅できっぷを買い求め、列車の到着を待つ。

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入ってきたのは元南海21000系の3000系。外版塗装がところどころはがれ、錆が浮いている状態で、整備状態は良好ではない。12:41に発車。思ったよりスピードは出ているが、宍道湖の湖畔にそって走っているため、随所に速度制限がある。一畑口のスイッチバックも今となっては無用の長物だろう。駅周辺も人口が多いとは思えないし。しかし湖畔の景色は美しく、写真を撮っている観光客らしき乗客も見られた。川跡で下車し出雲大社前に向かう。こちらは元京王5000系の2100系。で、終点到着後、旧国鉄大社線の大社駅跡地へ。

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写真は駅の敷地の北端から撮ったもので、駅の敷地がそのまま空き地として残っているほか、駅舎の姿も見える。またこの写真の手前側には小さな川(水路?)があり、ここには橋台が残っていた。時間がなかったため、駅舎の正面まで行かず、そのまま出雲大社前駅に戻る。再び川跡駅へ。

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ここで再び乗り換えて電鉄出雲市へ。出雲市からは再び山陰本線に乗り、西を目指す。15:08発の浜田行きに乗った。日の出ている内に江津まで乗り潰せれば良いので、ORITADEを狙う。まずは特急列車の退避と行き違いのため長時間停車した波根で下車。

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同列車に戻り、次は石見福光で降りる。16:34。

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駅舎は綺麗だったが、駅前には住宅と自動販売機があるだけ。郵便局だったと思われる建物はあったが、看板ははずされており、緑色のATMコーナーの跡と建物の前の郵便ポストが、さびしく残っていた。ここから山陰本線の上り列車に乗り換え。16:47発で、すぐに次の温泉津で降りる。

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「温泉津」と書いて「ゆのつ」と読ませるのは結構な難読地名であろう。駅はJAと同居しており、綺麗に整備されている。が、3連休の真ん中の日曜日にもかかわらず、温泉街には全く活気が感じられない。

17:09に再び山陰本線の下り列車に乗る。快速「アクアライナー」の浜田行きで、待望のキハ126系だ。初めて乗る車輌だが、内装と言い、走行性能といい、キハ47より格段に良い。特にシートピッチの広さは特筆できる。583系電車ほどではないかもしれないが、とにかく足元が広い。これは快適だ。並行する道路を走る車を追い抜きながら快適に飛ばした。乗り潰しの目標は江津までだったが、江津で降りるのも芸がないし、帰りもキハ126系に乗りたいと言うこともあり、波子で下車、17:36。ここは近くに県立の水族館アクアスが出来てから玄関口として整備され、駅舎の待合室も、その隣にある公衆トイレも綺麗だったが、閑散としていた。駅から水族館までは遊歩道が整備されており、少し歩いてみたが、あまりにも綺麗過ぎ、ほとんど使われていない印象であった。とはいえ、地元自治体に鉄道が見捨てられていないことは喜ばしいことだ。

帰りは18:05のアクアライナー米子行きに乗る。この列車は太田市~西出雲の間の駅に止まらないだけで、他の区間は各駅停車であるが、それでもキハ47よりは圧倒的に速く感じる。車輌性能の違いもあるし、退避や交換で長時間停車することがないせいもあるだろう。米子に着いたのは20:54、快適なひと時であった。

遅い夕食の後、目覚ましを06:30にセットして床に就いた。

 


西へ旅立つことを決めたのは3月18日の朝である。前の日に、妻が放射能汚染を恐れて実家に帰ってしまい、3連休がぽっかりと暇になってしまった。一人で家に引きこもっているのも勿体無いと思い、取り敢えず名古屋行きの高速バスのきっぷを買った。

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この日は春休みのムーンライトながらの運行期間最初の日で、こちらのほうが当然安かったが、この時点では計画停電の影響で、東京近郊の列車の運行にも大きな影響が生じており、ムーンライトが運行されるかどうか情報がなかったのである。といっても決して熟考して決めたわけでなく、なんとなく勢いで購入してしまった。

 

仕事から帰ってから、旅行の計画を練る。名古屋までの足は確保したものの、どこに行こうという目的があったわけではなかった。北には行けないから、西に行こう、と言う程度の動機である。名鉄や富山地鉄なども候補に挙がったが、結局木次線乗り潰しを目標にすることにした。木次線だけではなくこの付近には未乗区間が多く、特に鳥取県には足を踏み入れたことがない。と言うわけで、木次線を中心に乗り潰しに走ることにした。ここまで決めたところで米子に2泊の宿を確保する。米子なら伯備線で岡山に短時間で出られるし、空港も近いので、ダイヤの乱れが生じても帰ることは出来るであろう。

 

洗濯を行いながら、旅行の準備を進め、22時過ぎに自宅を出発。北小金22:29発の代々木上原行きに乗車し大手町へ。普段なら松戸で快速に乗り換えて、JRで東京に向かうところだが、停電の影響で快速線の列車本数が少なく、時刻も不明なため、確実な方法をとることにした。大手町で丸ノ内線に乗り換えるが、乗り換え通路のエスカレーターが動いてない。これは予想外だった。北小金駅のエスカレーターは動いていたのに。後で知ったことだが、JR東日本では階段が併設されていないエスカレータは動かすと言う方針だったらしい。このため北小金駅のエスカレータは動いていたのだ。

丸ノ内線で1駅、東京駅到着後、高速バス乗り場へ。連休前の金曜日であるせいか、夜行バスの乗り場は人が多く、乗降に手間取っており、バスの発車にも若干遅れが出ている。23:30過ぎに自分の乗るバスが入線したため、Web乗車票を提示して乗り込む。自宅で運賃の決済ときっぷプリントアウトが出来るのは非常に便利だ。日本の鉄道の場合、自動改札使用を前提とする以上、プリントアウトした乗車券でそのまま列車に乗ると言う運用はしにくいのは確かだが、せめてきっぷの受け取りをもう少し便利にしてほしいものだ。JR各社の縄張りなど利用客にとってはどうでもいいことである。

 

翌朝、名古屋にはおそらく定時に着いたと思うのだが、確かな記憶はない。食べ物が豊富に並んだキオスクでおにぎりを購入し、ホームへ向かう。キオスクの品揃えを見る限り、名古屋では特に震災の影響は見受けられない。06:45発の新快速大垣行きに乗車、大垣へ。米原方面の接続列車はなく、結局後続の豊橋発米原行きの区間快速に乗る羽目になった。空席がなく立席。米原から北陸線敦賀行きに乗り換える。521系初乗車。全線直流区間なのに521系を使うのは勿体無い気もする。敦賀で駅の外に出て時刻表を購入。インターネットの時刻表で乗り潰し計画を立てるのは著しく面倒なので、本の時刻表は必須である。

時刻表を確認し、本日の予定を確認する。一応、米子には予定通り今日中につけそうである。予定が確認出来たので安心して小浜線に乗れる。

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小浜線のホームに止まっていたのは125系2連。自分の記憶では、特急列車が485系、北陸線普通列車が419系、そして小浜線はキハ58系で運行されているはずだったため、この光景はかなり衝撃的であった。少なくともこの時間帯は、国鉄時代の車輌は全く見なかった。125系はトイレが大きい上、中間の締め切りのドア部分のシート配置が不規則なこともあって、全体的にまとまりがない印象である。

 

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東舞鶴駅は島式ホーム1本しかないが、1本の線路を前後に分けて使っていて、当駅始終発の普通列車同士を接続させていた。いたずらにホームを増やすよりも、乗客にとっては便利な運用方法だ。編成が短い線区同士の接続駅は、この様な形態が理想だろう。この先福知山で再度乗り換えたが、逆にホームの数が多く、乗り換えは必ずしも便利ではない。福知山からは223系の5500番台。初乗車である。城崎温泉で再度乗り換え。城崎は電化区間の終点、特急列車の終点と言うことで、もっと大きな街を想像していたが、案外こじんまりした印象の駅であった。城崎温泉からはキハ47の2連である。この先、翌日も含め延々とキハ47の2連にお世話になることになった。島根県と鳥取県の援助で導入したキハ121・126系以外、普通列車には全く新車が入っていない。キハ40系は音ばかり大きくて全然前に進まないため、あまり好きな車輌ではない。特に並行する道路を走る車に抜き去られていくのは屈辱的だ。

途中、浜坂と鳥取で乗り換えて米子に着いたのは19:35。キハ47にずっと揺られてやや疲れた。しかし城崎温泉から香住までの海岸沿いの風景はすばらしかった。このような海岸沿いの複雑な地形に線路を通した明治の技術者たちの力には本当に頭が下がる。

 

駅近くのホテルにチェックインし、遅めの夕食をとる。明日の予定を少し思案してから、目覚ましを4時にセットして床に就いた。

 


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