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西へ旅立つことを決めたのは3月18日の朝である。前の日に、妻が放射能汚染を恐れて実家に帰ってしまい、3連休がぽっかりと暇になってしまった。一人で家に引きこもっているのも勿体無いと思い、取り敢えず名古屋行きの高速バスのきっぷを買った。
この日は春休みのムーンライトながらの運行期間最初の日で、こちらのほうが当然安かったが、この時点では計画停電の影響で、東京近郊の列車の運行にも大きな影響が生じており、ムーンライトが運行されるかどうか情報がなかったのである。といっても決して熟考して決めたわけでなく、なんとなく勢いで購入してしまった。
仕事から帰ってから、旅行の計画を練る。名古屋までの足は確保したものの、どこに行こうという目的があったわけではなかった。北には行けないから、西に行こう、と言う程度の動機である。名鉄や富山地鉄なども候補に挙がったが、結局木次線乗り潰しを目標にすることにした。木次線だけではなくこの付近には未乗区間が多く、特に鳥取県には足を踏み入れたことがない。と言うわけで、木次線を中心に乗り潰しに走ることにした。ここまで決めたところで米子に2泊の宿を確保する。米子なら伯備線で岡山に短時間で出られるし、空港も近いので、ダイヤの乱れが生じても帰ることは出来るであろう。
洗濯を行いながら、旅行の準備を進め、22時過ぎに自宅を出発。北小金22:29発の代々木上原行きに乗車し大手町へ。普段なら松戸で快速に乗り換えて、JRで東京に向かうところだが、停電の影響で快速線の列車本数が少なく、時刻も不明なため、確実な方法をとることにした。大手町で丸ノ内線に乗り換えるが、乗り換え通路のエスカレーターが動いてない。これは予想外だった。北小金駅のエスカレーターは動いていたのに。後で知ったことだが、JR東日本では階段が併設されていないエスカレータは動かすと言う方針だったらしい。このため北小金駅のエスカレータは動いていたのだ。
丸ノ内線で1駅、東京駅到着後、高速バス乗り場へ。連休前の金曜日であるせいか、夜行バスの乗り場は人が多く、乗降に手間取っており、バスの発車にも若干遅れが出ている。23:30過ぎに自分の乗るバスが入線したため、Web乗車票を提示して乗り込む。自宅で運賃の決済ときっぷプリントアウトが出来るのは非常に便利だ。日本の鉄道の場合、自動改札使用を前提とする以上、プリントアウトした乗車券でそのまま列車に乗ると言う運用はしにくいのは確かだが、せめてきっぷの受け取りをもう少し便利にしてほしいものだ。JR各社の縄張りなど利用客にとってはどうでもいいことである。
翌朝、名古屋にはおそらく定時に着いたと思うのだが、確かな記憶はない。食べ物が豊富に並んだキオスクでおにぎりを購入し、ホームへ向かう。キオスクの品揃えを見る限り、名古屋では特に震災の影響は見受けられない。06:45発の新快速大垣行きに乗車、大垣へ。米原方面の接続列車はなく、結局後続の豊橋発米原行きの区間快速に乗る羽目になった。空席がなく立席。米原から北陸線敦賀行きに乗り換える。521系初乗車。全線直流区間なのに521系を使うのは勿体無い気もする。敦賀で駅の外に出て時刻表を購入。インターネットの時刻表で乗り潰し計画を立てるのは著しく面倒なので、本の時刻表は必須である。
時刻表を確認し、本日の予定を確認する。一応、米子には予定通り今日中につけそうである。予定が確認出来たので安心して小浜線に乗れる。
小浜線のホームに止まっていたのは125系2連。自分の記憶では、特急列車が485系、北陸線普通列車が419系、そして小浜線はキハ58系で運行されているはずだったため、この光景はかなり衝撃的であった。少なくともこの時間帯は、国鉄時代の車輌は全く見なかった。125系はトイレが大きい上、中間の締め切りのドア部分のシート配置が不規則なこともあって、全体的にまとまりがない印象である。
東舞鶴駅は島式ホーム1本しかないが、1本の線路を前後に分けて使っていて、当駅始終発の普通列車同士を接続させていた。いたずらにホームを増やすよりも、乗客にとっては便利な運用方法だ。編成が短い線区同士の接続駅は、この様な形態が理想だろう。この先福知山で再度乗り換えたが、逆にホームの数が多く、乗り換えは必ずしも便利ではない。福知山からは223系の5500番台。初乗車である。城崎温泉で再度乗り換え。城崎は電化区間の終点、特急列車の終点と言うことで、もっと大きな街を想像していたが、案外こじんまりした印象の駅であった。城崎温泉からはキハ47の2連である。この先、翌日も含め延々とキハ47の2連にお世話になることになった。島根県と鳥取県の援助で導入したキハ121・126系以外、普通列車には全く新車が入っていない。キハ40系は音ばかり大きくて全然前に進まないため、あまり好きな車輌ではない。特に並行する道路を走る車に抜き去られていくのは屈辱的だ。
途中、浜坂と鳥取で乗り換えて米子に着いたのは19:35。キハ47にずっと揺られてやや疲れた。しかし城崎温泉から香住までの海岸沿いの風景はすばらしかった。このような海岸沿いの複雑な地形に線路を通した明治の技術者たちの力には本当に頭が下がる。
駅近くのホテルにチェックインし、遅めの夕食をとる。明日の予定を少し思案してから、目覚ましを4時にセットして床に就いた。